往復書簡——石原4
崎田さま
夏が終わり、秋の虫の声を耳にするようになりました。私の職場でもそろそろ後期の準備に入り気持ち的にも夏の終わりを感じています。(大学生活が長すぎて9月は夏!ってイメージなんですが私だけなんでしょうか。)
ちょうど先日、山形ビエンナーレ2024に遊びに行ってきました。2014年の初回から、東北画は可能か?やゲッコーパレードとして参加し続けてきた私にとって、初めて完全お客さんでの鑑賞。なんて気楽で楽しいだけの時間だったか。笑。これまでのビエンナーレに参加していたことで楽しみ方を既に知っていた、ということもありますが、会場内に設置された丁寧なテキストや(語りかけるような書き口はなんだか手紙をもらったかのような親しみがありました)、作品として配置されている短歌が、その土地の風景をアーティストがどのように見たのかという視点を提示してくれていて、それを手がかりに楽しむことが出来たなと思います。また絵画など作品も、その場所において一方的な自己主張をしているのではなく、その場に佇むような展示が多い印象でした。
崎田さんのいう「土地の記憶」の難しさ、わかる気がします。というかそもそも、私がゲッコーパレードの活動に興味を持ったのは、地方芸術祭やアートイベントに東北画は可能か?として参加している中で、作品をギャラリーや美術館以外で展示する際に、どうしても説明の文章をつけなくてはいけないような気がしてしまう、なにか別の方法はないか…と悩んでいたからでした。
作品にも色んな側面があって、その土地の記憶を掘り起こすようなものもあれば、全然違う物語をあたかもあったかのように見せるようなものもあって、そこに優劣がある訳ではないのですが、自然と入っていくことが出来る作品は、見る側の何も知らないを前提に、作品に入っていくためのチューニングがうまいように思います。それは崎田さんが挙げていた、さわひらきの作品もそうで、私も過去見ましたが、旧公民館だってこととか知らないまま、木造で暗くてひっそりとした建物を歩いていくと亡霊のように作品に出会うことが出来る。なんだか子供時代にこっそり探検したかのような感覚を思い起こさせるような体験だった、ということが、説明もなく作品の世界に入っていくことが出来た理由だったように思います。
昔、先生が教えてくれた話で強く印象に残っているものがあります。作家名も作品名も失念してしまったのですが、その作品は音に重要な意味がある作品だったそうです。とても小さな音に耳を澄ませるような作品だったようですが、とある人が作家に「耳が聞こえない人にとって、これは作品となり得ないのではないですか」と問うた際、作家は「音が聞こえなかったとしても、この空間の空気感において作品になりうるよう制作しています」と答えたそうです。このエピソードは、私が展示をする際に出来うればそうあって欲しいと思う理想の空間をイメージさせました。勝手な想像ですが、その作家にとって、小さな音に耳を澄ませる、その時の姿勢や注意深さ、なんだか時間が長く引き延ばされるような感覚が作品の根幹にあるもので、その隅々まで神経を行き届けさせるような空間を作り出していたのでしょう。私は絵描きで絵を描きますが、それらは擬似的な他者で、1対1の関係を想定していますが、常に関係はうまく結べません。最近自分は作品で「コミニュケーションの失敗」を表したいのかもしれない、と思うのですが、その失敗が光の中で晒されることで、別の可能性を示唆してくれないか、そんな空間は静かで明るく、少しひんやりとしていると考えています。
何が言いたいかといえば、崎田さんのいう「自分と作品や観客との距離感、何か一つの事実や条件から作品を立ち上げること、それをメンバーや観客とわかるポイント」というのは、私も考えたいことの一つで、絵画、は一枚で完結していることが前提ですが、やはり観者との関係の中で捉えたい。ゲッコーパレードのメンバーとしても、私は近しい観者として何を「了承したか」をレスポンスし続けていきたい、というか、そもそも学生時代、私は共同体を「了承を繰り返し続ける場所」と定義づけていて、それが実行できる場所がゲッコーパレードなのかもしれないです。(ところで、共同体=了承を〜は、あながち的外れでもないのかもって、東浩紀『訂正可能性の哲学』を読んでて思いました。まだまだ咀嚼に時間がかかりそうですが、いつかその話もしたいですね。)
「舞台に立つときの観客の存在とは」について答えてくださり有難うございます。なんとなく『劇場シリーズ』で取り組んでいる作品、『プロローグ』や『少女仮面』という作品の物語から、あと一緒に作った『アガタ』から、崎田さんにとって観客って「対峙」する相手、それこそ「敵」だと思っていた、とありましたが、そういう強い気持ちでもって向かい合っているんだなぁっていうのは重々伝わっていました。笑。でも今回「もう少し肩の力を抜いて、信頼し合って、距離感近い感じでいきたいなと思っています。」とあって、その変化が面白いなぁと思って読んでいました。
私はゲッコーパレードに参加しはじめて4年目になって、とはいえ相変わらず創作にはそんなに関わってないな、みたいな変な立ち位置ですが、なんとなくゲッコーパレードのミーティングもそういうところあるのかな、って思ってます。新生ゲッコーパレードの時は、自分はこの集団でどのような立ち位置を担うべき、担いたいのか、みたいな強迫観念にも似た…どうしよう、というか立ち位置でしか関われない、みたいな緊張感があったのですが、最近ではお互いの集団外の活動とかも見たり関わったりする機会もあって、少し楽になってきた。ゲッコーパレードとか関係なくてもメンバーの活動おもろいな、次もみたいなって思えていることで、繋がりを感じ始められているというか。もちろん自分もおもろいなって思ってもらえるように頑張らないとですし、ゲッコーパレードとしても作品作っていきたいところですが。(オファーお待ちしてます!!)
さて、いただいていた質問の「どこで制作するかをどのくらい大事にしていますか」という問いについて。うーん、小林正人の「発表する場所は考えないといけないけど、制作する場所は自分が自分でいられる場所でなきゃ嘘じゃないか」は、考えさせられますね。そもそも「自分が自分でいられる」ってどういうところなんでしょうか。
私は長々と学生生活をしていたので、ついぞ4年くらい前までは大学のアトリエで制作をしており、現在は転職で場所を移りながらも家の一間で制作をしています。明るく壁や床を汚すことを気にしすぎなくて良いアトリエに比べて、借家の一間は制限が多い。もちろんそれだけで描きづらいなぁなんて甘えるなって話ですが、正直描きづらい。でもそれよりも、一人で描いているときの自家中毒状態の方がよっぽど問題だと思っています。
自家中毒ってどういうことかといえば、今山形にいた時とは違うシリーズを作っている最中なのですが、新しいアプローチをしようとする時に、これがどう見られるだろう、この人はどういうだろう、みたいな勝手に相手を想像して、その仮想の言葉に操られてしまう…人の意見(しかも妄想)に左右されるなんて情けないな、とも思いつつ、やっぱ制作してると波がやってくる。大学のアトリエは常に他の誰かもいるので、その人の気配が脳内でリフレインされる言葉が妄想にすぎないことに気づかせてくれるのですが、一人でいるとなかなか切り替えられない。「自分が自分でいられる」って言った時の「自分」って、対「誰か」の時に現れて、一人っきりの時はずいぶんブレブレなんじゃないか、なんて思ったりもします。
ただ、最近は仕事にも少しずつ慣れてきたこともあって、ペースを取り戻すための術を探り始めています。自分の過去に書いてた文章を読み直したり、論文で使った本をめくってみたり。これまで作ってきた作品は、震災後の東北で、課題が多い地方で、どうやって他者と生きていけるだろうっていう個人的に切実な問題から作っていたので、今いる場所で同じことをなぞるわけにはいかないな、と思っているのですが(だからこそ新しいシリーズを始めなければと思っているわけですが)でもやっぱり私はずっと他者と関わる難しさを感じてるし、作品を見た時に他者に触れることができたという喜びを忘れられないので、私はアートに関わり続けたいと思ってます。
答えになってないな〜でもこうやって文章にしてみると、整理されるところもあって。「どこで制作するか」の「どこ」を「アトリエ」と考えるなら、自分のペースを守る術さえあればどこでも良いように思いますし、「私の身の回りの環境」と考えれば、結局作品制作の動機はちょっとしたパーソナルな心の動きから始まるので、大事、というか、そこに大きく振り回されるんだと思います。特に私の場合は、「他者」との関係性が一番の動機になるので。いいんだか悪いんだか。
さて、うまく答えられなくて申し訳ないんですが、切り替えて。苦笑。今回の質問は、ちょっと気分を変えて、この間山伏修行に行ってましたよね!その時の体験談なんかを聞けたら嬉しいな~と思います。山形にいた時、修験道に関してちょいちょい調べる機会があったりしたものの、どうもタイミングが悪くて修行に行ったことがないワタクシ。修行って何か変わるものなんですか?備忘録がわりにお待ちしております~!