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往復書簡ー崎田2

石原葉さま

新年を迎えてからまもなく2ヶ月ですか。早いですね…。私はお正月は金沢に帰省していて、市内で地震を体験しましたが、人生で一番大きな揺れだったので、かなり衝撃を受けました。年齢的なことや、私の取り巻く人やものの巡りなども関係していたと思いますが、初めてリアルに死というものを意識しました。外にいたのですが、立っていられないほどの揺れ、足を掬われる感じ、人間の力や意志ではどうにもできない、もっと大きな力があることを思い知りました。幸い家族や家、友人などはみな無事でしたが、能登の被害は甚大で、志賀原発もありますし、本当に気掛かりでなりません。ちょうど昨年の11月に奥能登国際芸術祭に行き、珠洲の街や能登の海岸線を車で走ったことが記憶に新しい分余計に気持ちは募ります。一日も早く復旧しますように。私もできることを考えたいと思います。

さて、葉さんの手紙を読んで、一番はっとしたのが、「私はアガタを描いていた」というところです。あの時期、私たちは稽古場で日々顔を合わせていましたが、モデルとしての役割を終えたあとは、その絵の制作がどのように進んでいたのか、葉さんがどんな思いで描いていたのかあまり聞いていませんでした。確かに私はモデルをするときに、「どういう心持ちでポーズをすればいいですか?」と聞きました。それは私が絵のモデルをやったことがないからというのもありますが、せっかく俳優である自分がやるのだから何かできることはないかと思ったからです。しかも描き手は葉さんだし、そこを聞くことができる。さらには、葉さんがなぜ絵を描いているのかという部分に触れられるかもしれないとも思いました。

実際のところは、数分間ストップモーションをしている中で「ただ止まっている」という状態に私が耐えられなかったというのが一番の理由です。演技をしている中でストップするという瞬間はないと私は思っています。もちろん、見せ方として止まるということはありますが、見た目は止まっていても、人物の中はぐるぐる回っているし、俳優も人間なので心臓を止めることはできません。もしかしたらもののように存在できる技術が私にあったらそれを使っていたかもしれませんが、持ち合わせていない上、私にはあまり向いていないと思うので、止まっているけれど生きている状態、止まっているからこそ永遠の命を生きているような瞬間を目指したいと思いました。この感覚は、ゲッコーパレードの劇場シリーズ『プロローグ』のラストシーンや、山形ビエンナーレ2022の『ファウスト』で最後にファウストが静止するという芝居で見つけたものの延長にあります。

モデルで何を考えたかを長々と書いてしまいましたが、この辺り葉さんとも話していなかったなと思って。『アガタ』を作っているときに葉さんと何ができるかと考えていたときに、葉さんの絵を舞台に置こうかと話していた初期の頃に抱いていた、演劇は時間のあるもの・動である、絵画は瞬間を切り取るもの・静である、それが同居する空間は面白いのではないかという漠然とした感覚と、なんとなく繋がっています。そして静止する演技というのは私がこれからも追求していきたいものでもあり、絵画や美術作品について学んだり考えたりすることはそれを考えるヒントになりそうな気がしています。

「わからない」状態がなぜいけないと思っているか、もう少し詳しく書こうと思います。学生時代、「イメージがないと演技はできない」とよく言われました。スポーツでも、芸術でも、なんでもそうだなと思うのですが、成功や理想のイメージが描けないと、それを具現化することはできません。それと同じように、演技も「わからない」を抱えた状態でやると、あやふやで人に伝わるものにはなりません。そういう意味で「わからない」は稽古場に持ち込んではいけないという意識が強くあります。

たとえそれがしっくりきていない答えでも、何か当たりをつけて、稽古で試すものを決めておかないと、みている側は、何がわからないかもわからない、受け取るものがないということになります。通常の演劇の現場では、俳優は台詞覚えを終え、ト書きなどの動きも身体に入って、人に見られるに耐えうる状態で稽古場にくるということが求められます。それは、他者に見られるということを通して、戯曲の物語や人物の感情を体現したり、生身の身体を媒介として現実との結びつきを担保したりするにとどまらない、俳優が起こす劇的瞬間ーー俳優が創造性・独自性を発揮する瞬間ーーを見つけるということが稽古の前提になっているからだと思います。内容や解釈の擦り合わせと、俳優が創造性を発揮する瞬間の生成は密接に関わっており混同される(どちらも俳優の責任になる)ことが多いように思います。後者は俳優が創り出すしかありませんが、前者は必ずしも一人で考えなければならないものではないと思います。後者も戯曲をそのまま上演するのならそれに従って演じるしかありませんが、創作の脚本でどうしても俳優が創り出せないのなら葉さんのいうように構造に問題があるのかもしれません。

ただ解釈を話すときに、相手役がいると、また状況が変わってきます。一人芝居では、解釈に納得して、観客と対面し、そこに劇的な瞬間を生み出すまでを一人の俳優が引き受けます。相手役がいる場合は、解釈を共有した上で、劇的な瞬間を共に作らなければなりません。逆にいえば、対話の中で劇的な瞬間が生み出されなければ、いくら個人個人の解釈が各々筋が通っていたとしても演劇である価値は見出せないということになってしまいます。

あれから、なぜ「わからない」状態でも上手くいったのか、私も考えてみているのですが、そもそもの前提が違うというところが大きいと思いました。大抵の演劇の現場では、作品の構想段階から他者と何かを共有していることは少ないと思います。まず何かをやりたい!と旗を振る人はいて、その人の中に主題やコンセプトがはっきりとあるために、それにいかに近づくかということが問題になる場合が多いように思います。もしくは、葉さんの言うように、制作とは「わからない」と向き合うことだということが、誰かのビジョンを実現するという集団創作の形では実現しにくい、つまりビジョンを提示する人も「わからない」ものを創ろうとしているのに、答えを持っている人かのように扱われてしまうということが起こります。これはゲッコーパレードという異ジャンルのアーティストと創作をする機会が多い集団にいたから気付けたことですが、そうでなければ自覚できなかったかもしれません。

『アガタ』をやりたいと言い出したのは私ですが、葉さんとは構想段階から話をし、葉さんも書いていたように、作品について話すことでお互いのことを知り自然と「わたしたち」になっていき、その中で主題を見つけました。だからその時点で、これから作る作品で何を一番大事にしているのかということも了解していたし、逆にいうと、それ以外は何もわからない=創っていかなければならないということも了解していたということではないかと思います。

もう一つ上手くいった要因として、先ほども対話になると変わってくると書きましたが、『アガタ』が一人芝居だったからというのが大きい気がしています。私の「わからない」を解消しないと作品が前に進まない状況にあったこと、そして葉さんも書いていたように、アガタ/葉さん/私の三角関係を通して、そして葉さんの制作も同時並行で進んでいる中で、葉さんと向き合うことも大事な要素になっていたことが、上手くいった要因なのだろうと思いました。これが複数人になっていったとき、そしてそのメンバーが持つ価値観が遠ければ遠いほど、共有が難しくなり、みんなが納得するという状態はなかなか作りづらいことになります。これまでゲッコーパレードは基本的に、演出家対誰かという一対一の関係を築くことで作品を組み立ててきたと私は認識しています。でも今は少し違うトライをしようとしていますね。それぞれに一対一の関係は継続しつつ、以前より一人一人に対する理解が深まり連携も取れるようになってきた今、より「わたしたち」として「わからない」ものに向き合えるようになってきたのだと感じます。

先日、私がモデルをし、アガタを描いたという葉さんの絵をみました。私を知らない人からみると少女のように見えたようですが、私からすると紛れもなく私にしか見えず、絵画に対してそんな感覚になるのは初めてだったので、自分の日記を読まれているような恥ずかしさがありました。きっと葉さんが『アガタ』本番で感じていた、自分に返ってくる感じ(でも自分ではその場でどうにもできない歯がゆさのようなもの)と似ていたのではないかと想像します。絵の前に立つと否応なく対峙させられる感覚になり、葉さんが制作を通してアガタや私や葉さん自身と向き合っていたこと、そして結果的にそういう作品になったことと、観客が俳優と対峙する演劇を好む私がモデルだったことが無関係ではないだろうことが、真っ直ぐに伝わってくる作品でした。

長くなってしまったのですが、最後に投げかけてくれた質問について少し書こうと思います。1月中旬まで京大生中心の劇団に客演していました。他の劇団に参加するときに考えることは、大きく2つ。一つはここで私に求められていることはなんだろうか。もう一つは、それとは関係なく私が個人的に何にトライしようか、ということです。今回、前者については、集団の立ち上げ公演だったし、私が一番年長だったこともあり、「わからない」ものを形にするという点では、ゲッコーパレード立ち上げや劇場シリーズで模索した経験を思い出しながら、答えを提示するのではなくなるべく並走するような態度でいることを心がけました。実際にやってみるという段になったら俳優としての貪欲さは忘れずに。座組みはほぼ大学生ばかりでしたが皆とてもフラットに意見交換していて、もしかしたら年齢や経験を一番意識していたのは私かもしれませんが…。後者については、演出からのオーダーが物語や役を追求するのではなく、劇の役割に徹してほしいということだったので、物語や役を媒介せずにどうやって観客とイメージを共有するのかというトライをしようとしたのですが、これは完全に失敗、劇の構造やルールに従うので精一杯で、その先へ行くことができませんでした。もしかしたら劇の構造やルール自体に改善の余地があったのかもしれませんし、あの形式に対応するための俳優の訓練が必要なのかもしれません。

今回の立ち上げ公演にどれだけ貢献できたかはわかりませんが、ただ一点「見たことがないものを作りたい」という演出の言葉を信じたいと思い参加しました。彼らの出発に立ち会えたことはよかったなと思っています。

葉さんは展示が終わり一息というところでしょうか。京都にきて初めての展示ということでしたが、実際にやってみてどうでしたか。


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