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林 純平
Hayashi Junpei

林 純平 /俳優・ゲームライター
1991年4月19日生まれ
千葉県富津市出身

人は誰かになれないことを前提としながら、
そこから模索していくことを
何においても大事に考えている。

つねにビデオゲームについて考えており、
都度感じたことを文章や文字にまとめ続ける一方で
他者の書いたゲームレビューや感想などを読み様々な視点を知ることに興味を持つ。

長期的な目標としてゲーム内のNPC(Non Player Character)が
より場に息づける方法や
演技、見せ方の探求をしている。
ゲッコーパレードには当初「アイデンティティなし」として参加した。

集団の上演に俳優として出演しつつ、現在はゲームライターとしても活動中。

▼出演作(演劇)▼

〇2016年
reset-N 再起動公演
『knob』/渋谷space EDGE
作・演出:夏井孝裕

〇2017年
ゲッコーパレード出張公演 家を渉る劇vol.1
『リンドバークたちの飛行』/登録有形文化財 島薗家住宅
作:ベルトルト・ブレヒト
訳:岩淵達治
演出:黒田瑞仁、柴田彩芳、本間志穂、渡辺瑞帆(青年団)
市松(砂と水玉)、古賀彰吾(劇団ドクトペッパズ)

〇2020年
Ammo×シアター・ミラクルプロデュース番外公演
『桜の森の満開のあとで(2020)』/新宿シアター・ミラクル
脚本・演出:南慎介(Ammo)

〇2022年
山形ビエンナーレ2022 現代山形考〜藻が湖伝説〜
ゲッコーパレード滞在公演
『ファウスト』/山形県郷土館「文翔館」 議場ホールおよび前庭
作:J.W.ゲーテ
訳:手塚富雄
演出:黒田瑞仁

〇2023年
ゲッコーパレード出張公演
劇場Ⅱ
『少女仮面』/下北沢OFF・OFF・シアター
作:唐十郎
主宰:崎田ゆかり
演出:黒田瑞仁

 

 

“ひとは、誰かになれる。”
ドラクエVIIの帯に書かれていた。
この言葉の心強さに何度も拳を握りかえしてきた。
ゲームは正気を奪ってくる。自分も届きそうな気を起こさせる。

自分が一生で遊べるゲームは極わずかと気づき、残念だと思っていた
それならその限られたゲームを書き残そうと文章にし始めた。
そうしていたら訊ねられた。
「誰か、果樹園まで連れて行ってくれる人を探してるんだ」
『フェイブル』のNPCがそこにいた。
プレイヤーに関わり続ける彼らを自分はやりたいと決めた。

地方都市と電脳空間
ネット回線のともしびが街の姿を浮かび上がらせた
『デビルサマナー ソウルハッカーズ』の舞台、天海市。
去っていった人たちの残光を通して見えた
その土地に染み付いたビジョンは幻なのか。
自分が見たもののは、ただの設定ではない。

行くより速く新宿を知る。
『Project Gotham Racing 3』には2005年の新宿がある。
写真の中に入ったように静止した街。それはもうない新宿だが、
ただそこにある街の姿に、人々の生活の痕跡を追って車を走らせる。
探偵犬の看板は確かにあった。

ひとりぐらしのワンルーム
のぞく私は部屋の神
介入するとは言うけれど
送れるものは気持ちだけ
素敵なポップス リズムにのせて
心よ動け ネジタイヘイ
ひと間のドラマ『ルーマニア』

“愛すべき友を持て”
父の遺した言葉を胸に
今日も横須賀駆けずりまわる
喧嘩ガチャガチャ猫バイク
旅立ちまでの壮大な序章
毎日帰る自宅のおかって
タンスの前にトースター
こづかい一日500円
フォークリフトでお金を稼げ
『シェンムー』には時が流れている。

16世紀。大航海時代
剣に己のすべてを賭けて広い世界を駆け巡る
『ソウルエッジ』は力の象徴
流れ流れて至った場所でつわもの達が刃を交わす
手向かう者は切り伏せて力で道を押し通る
風は勝者をふたたび連れ去り、敗者はただ吹かれるのみ。

鳥とともに空を渡る
『トリノホシ』は多様な鳥の住む惑星で遭難した主人公が
渡り鳥を頼りにグライダーで脱出をめざす
グライダーには風に乗る心地よさと不安が載っている。

重ね合わさる宇宙を飛ぶ
いま目の前にある光景はいつのことなのか
未だ見えない神話のなかを浮遊する
レール上の銀河『GALAXY FORCE Ⅱ』

家を建てたい
建て直される家を見るにつけそう思い、
すぐには無理だけど漠然とそう思っている
『マイホームドリーム』のポリゴン家屋
プリミティブな思いを馳せさせる。
住む家とは自分自身であるらしい。

寄せる波に目を覚ませば、返す波に誰かが眠る
『ゼルダの伝説 夢をみる島』
そこには素晴らしいキャストがいる

風の強い島にひとり立つ
この地には美しい景色と建造物
それを支えているのは多くの謎と仕掛け
『MYST』の探索は困難がつきまとう
迷ったらガイドを片手に不思議な風景に浸る。

『ウキウキ釣り天国』はそのタイトルよりずっと静かなゲームだ
登場人物はリアルなタッチで描かれ
ひとり静かに釣りをしたい
あるいは糸を垂らしていたいという要求にこたえてくれる。
このゲームをやるなら曇天か小雨の日だ。

大きな力を持つことは、他人にも自分にも恐れを抱かせる。
腫れ物のような心を持ったままその場をしのぐ。
『ブレスオブファイアⅢ』にはずっと憂いがある
活力を感じさせるグラフィックで描かれた彼らを
この物語の世界から一歩引いた視点で
プレイヤーは見届けなければいけない。

サルの入ったボールを転がす
どういう経緯で出たアイデアなのか気になるのが
『スーパーモンキーボール』
難しいことはさておき、ひたすらに明るいステージと音楽のなか
モンキーボールを転がすことにいつしか夢中になっている
さらにこのサル空も飛ぶ
この多彩なアクションは赤帽子のヒゲ男に比肩する

誰でも『将軍』になれる。
将軍の座を目指すのは百姓・異人・町娘
武力だけでは成り上がれない。ときには贈り物も必要
“たたかわない”といわれてしまうこともある
たとえ操作キャラであっても思い通りにはならないのが
『将軍』というゲームだ。

1999、7の月
一定以上の年代にはある程度伝わるだろうノストラダムスの大予言
もはや効力を失ってしまったが、世紀末という雰囲気だけは
その時代に染み付いていた
『July』はそんななかで登場したノベルアドベンチャー。
今となっては古く感じられるCGムービーで語られる劇中の事件は
21世紀にある程度現実化してしまった。
このゲームそのものが予言めいている。

『ピクミン』はかわいらしい見た目のなかに毒気を持っている。
ミニチュアのような舞台のなか、食うか食われるかの生存競争。
主人公『オリマー』はとぼけた風体だが、戦略的にピクミンを使役していく。
“リアルタイムストラテジー”と呼ばれるジャンルは日本では馴染みが薄く伝わりづらいが
『ピクミン』というかたちにすることで、その体験を普遍的に広めた。
このゲームはさまざまな部分で裏腹な部分を持ち、それが種を存続させる戦略だった。

ゲームでは忍者というキャラクターは不動の人気があるが
『天誅』はそれまでの忍者アクションをまったく変えた。
忍者は正面突破をしない、という当たり前のことは
ゲームの中では常識ではなかった。
だからこそ時代劇調の物語もゲームで再現できたのだ。

『俺の料理』は過酷な調理場アクション
並行して料理を作りつつ客を捌いて店を回さなければならない
時には一般客を無視してVIPを優先させる非情さも必要だ
食材を刻みつつ、時間と評価に追われるパズルゲームにも似た感覚
その忙しなさに火を噴きそうだ

ゲームが鑑賞に耐えうる程度に実写を扱えるようになった1990年代
その多くはアドベンチャーゲームやムービーシーンに活躍の場があり
それはその後もさほど変容がなかった。
ただこの時代は数多くの実写取込みアクションがみられた。
3D空間に実写のキャラクターを配置した『ヴァーチャルハイドライド』は
のちの箱庭系アクションゲームの嚆矢ともいえる。
霧深い荒涼とした大地を主人公が駆け、怪物と戦い、謎を解く姿は
当時のヴァーチャルリアリティという言葉への見方をいまに伝え残している

日本と海外を比較する、というのはそこまで好きではないが
文化的背景の違いを意識せざるを得ないときがある。
『モータルコンバット』はゲームにおいてその端的な例だ。
この格闘ゲームはアメリカで大ヒットした。
実写で撮影された特徴的なグラフィック、過剰な人体破壊表現
妙な東洋風の世界設定。
日本でも一部にファンはついたものの、メジャーな存在ではなかった。
自分はゲームボーイでこのゲームを初めて遊んだが、他の何者ともいえない
特異なビジュアルや演出に衝撃を受けた。
同時に日本からこんなゲームが出ることは無いだろうとも思った。
日本では格好つけるときサングラスを外すが、アメリカではサングラスをかける。

ノートに書いた文字が物として現れる
多くの人が夢想したようなことをゲームにしたのが『Scriblenotes』だ。
ステージに配置されたスターの場所に主人公のマックスウェルを到達させることが目的。
どんな過程で、なにを使っても辿り着ければよい。
そこで使うのが書いた文字をモノに具現化するノート。
文字を入力して単語を作ると、その物体が画面に現れる。
たとえば“Rope”と入力すればロープが出てくるので、それをスターのそばに引っ掛けて近づくことができるし、“BlackHole”ならすべてを吸い込んで異世界へ行くことができる。
正気の沙汰とは思えないほどの単語量とそれに伴うグラフィックとギミック。
元は英語で作られているゲームだが日本語にも対応して発売されており、
その翻訳作業を行ったスタッフの苦労は想像に難くない。

『闘人魔境伝ヘラクレスの栄光』はちょっと変なRPG。
このゲームは素朴だが至って真面目にギリシャ神話を物語を表現している。
だからこそ街の人々の口調がやけに江戸っ子気質だったり、
アテネで手に入る食べ物が大根やサンマなど下町の商店のようなものであることに
可笑しさと神話世界への妙な親近感を感じてしまうのだ。

日本特有のビデオゲームジャンルとしてパチンコゲームが挙げられるのかも知れない。
多くは実機のシミュレーターが多いが、かつてはゲームオリジナルの台や
銀玉が主人公のゲームすらあった。
そんななかで奇跡的なシリーズが存在した。
“海物語”のシミュレーターでありながらパチプロを主人公にしたRPG
『パチプロ風雲録』を収録したパチパラシリーズ。
『パチパラ13』は自分がはじめて遊んだシリーズだったが、
十代の後半はこのゲームとともに生きていた。
きちんとしたストーリーがあり、3D空間に構成された街は
魅力的なロケーションだ。
パチンコを主幹産業に発展した舞台設定の日本、と考えると面白い。
釣りや恋愛、車の運転など多くの要素があり、一日をどう過ごすかを考えることが楽しいこのゲームはパチプロ版どうぶつの森と言ってもよい。

ある一部の要素を好きになったとき、それ以外の部分を無視したくなるときがある
『JUST CAUSE』はそういうゲームだ。
プレイヤーは南米の島国で政府転覆を目論む工作員となる
だがそんなことはどうでもいい。自分はこの島を散歩していたい。
抜けるような青空、変わりやすい天気、街の高所に干された洗濯物
そういうものを見ていたいのだ。

映画的なゲームという話題は紛糾しやすいものだが、TV番組的なゲームではどうだろう
そもそもあまり話題にならないのかも知れないが、
『痛快ゲームショー ツイステッド』はクイズ番組を模したゲームの決定版だ。
モチーフは日本人がイメージする海外の番組だろう。
プレイせずとも“なんだか楽しそう”と思わせるのは
映像の延長線上のようにこのゲームが作られているからだろうか
これはテレビにdボタンが付くより前のインタラクティブコンテンツ。

『モンスターファーム』。
自分はこのゲームをあまり遊べていない。
手持ちのCDからモンスターを作成し、育成して戦いトーナメント突破をめざす。
ポケモンの系譜ともいえるこのゲームだが
最大の違いはモンスターに寿命があること。
はじめて育てたモンスターが死んで以来、自分は未だにこのゲームをプレイできない。

『新世紀エヴァンゲリオン2nd impression』はいまだセガサターンでしかプレイできない
アニメの外伝として作られたゲームでは、最も本編に近くかつ影響を与えないゲームだ。
ヒロインが転校生であり一時的な繋がりしか持たないというのはその証左で
ある意味立場をわきまえている。
いてもいなくてもいい存在、という書き方をするとひどい扱いのようだが
自分は彼女のいたこの第X話を忘れていない。

大きいことはいいことか?
『マグマックス』は巨大ロボットが主役のシューティングゲーム。
戦闘機の状態でスタートし、無造作に地面に置かれたパーツを拾うとロボットに合体する
合体するメリットは攻撃力がやや増すことと、パーツを犠牲にしてダメージを防げること
しかし合体はリスクでもあり、その巨体から敵の弾に当たりやすくなってしまう
このゲームに限らず、1980年代のゲームは行動にリスクが伴うものが少なくない
パッケージには敵と戦うロボットの勇姿が描かれているがその状態を保てるか
それはプレイヤーの選択と腕前にかかっている

街の謎を解くつもりが自分自身が謎になっている
『GERMS 狙われた街』
そもそもこの街はどこの国に属している?
銃の携帯は不法ではない模様
レストランにはプロテイン団子という食べ物
とりあえずひとつくださいな。

ボールでビグザムに勝ちたいという願望
『機動戦士ガンダム連邦VSジオン』はそれを許す幅がある。
意味なんてないけど、ただやってみたい、みてみたかった。
そういうことをやらせてくれるゲームがいい

バイオハザードはやりたいけどあまり謎解きを考えたくない
そんな人いるだろうか。自分はそういう人間なので
『ブルースティンガー』が好きだ。
怪物が出てきたら殴り
体力が減ったらジュースを飲む
缶カラはポイ捨て
ゲームって最高だ

『ファイナルファンタジー クリスタルクロニクル クリスタルベアラー』
やたら長い名前のタイトルに身構えてしまうが決して小難しいゲームではない。
「俺に任せろ」が口癖のヒーローのストーリーを追っていると
気付けば四季の景観に分かれたフィールドを一周している。
クリアしたら花見に急流滑り、ブドウ農園など好きな場所に行ったらいい
ボタン一発でどんなシーンも逃さずに写真が撮れる。

『Dの食卓2』は物語の全容をまるで捉えることができない
ハイジャックされた航空機に隕石が衝突し、雪山に墜落するところから始まる。
雪山を歩けば、もとは乗客だったであろう者が怪物と化し襲ってくる。
それぞれのキャラクターが断片的に語るシーンに繋がりを見出すことはむずかしく
エンディングもよくわからないことの連続だ
カナダの雪景色とマシンガンの連射音がこちらの感覚を奪っていく

『サクラ大戦』は連続テレビドラマの構成をゲームに持ち込んだ
一話完結、次回予告、毎話オープニングテーマから開始されるというルーティン
一話ごとにそれぞれのキャラクターが掘り下げられると同時に
架空の“太正”時代の日本が理解できるようになっている。
我々の知る史実からやや外れた、蒸気機関と霊能力が発達した歴史は
妄想をかきたてられる
構成する要素の多くは当時としても古めかしく感じる定番の連続だが、
それをまとめあげて多くのファンの支持をここまで得たゲームは類がない

流れ着いた町でなぜかホテル経営者になる。
『ザ・シムズ2はちゃめちゃホテルライフ』はライフシミュレーションゲーム
シムズシリーズの外伝作。
シムズは本来目的のないゲームだが、外伝では目的が設定されるのが常だ。
自分は実際にホテル経営はやったことがないが、ごみ掃除に客のご機嫌取り、
火事の消化や宇宙人退治までやるようだ。

『アサシンクリード』の主人公はふたりいる。
ひとりは現代のバーテンダー、もう一人は12世紀のアサシン。
設定上ふたりは子孫と先祖の関係で、現代の人間が過去の事件を追体験することになる
現代編はアサシン編のゲームの楽しさから興をそぐものになっているが、
それは意図的なものだろう。
アサシンは幻覚によって全能感を得ているのか。現代編を通してみて考える。
プレイヤーからみれば進行上、選択の余地がないため殺人を犯すことしかできない。
ゲームと自分が一体化しない居心地の悪さがこのゲームの特徴だ。

ポケットモンスターに続けと様々な育成・交換型のゲームが生まれたが
『メダロット』はそのなかでも単なる亜流に留まらないものとなった
パーツ交換や戦闘システムの面での独自性もあるが、
日本の郊外のような土地のつくりはポケモンとは一線を画す
初代『メダロット』のラストダンジョンでの演出は他に例がないもので
いまでも鮮明に記憶に残っている

『イース』シリーズのよさは冒険者が主人公であり
それぞれのゲームの舞台が一地方に過ぎないこと。
一作終えるとそれがひとつの紀行文を読み終えたことになる。
そのなかで初代『イース』はその続編とセットになったストーリーになっている。
1・2で分かれている実際的な理由はもちろんあるが、
冒険の入門編・上巻としてイースは最適な古典だ。

『戦場の狼』は前に進むことしかしない。
勇壮なマーチともに兵士・スーパージョーを操るシューティングゲーム。
自分が前に進んだ分だけ画面がスクロールし、後戻りはできない。
戦場という題材であること、やられたキャラクターの記号化された動きをみて
このゲームはある人によっては恐怖の対象になるかもしれない

小難しい世界設定に専門用語をひたすら並べつつ
実は古典的なバディムービー調のアドベンチャーゲーム『ウイルス』
ほとんど味付け程度だが、人間が直接アクセスできる電脳世界と火星を舞台にしている
そこで起こる犯罪を調査するのが主人公とヒロインたちの目的だ。
ファンタジー世界をそのままそっくり電脳世界に置き換えたといった趣で
人気のありそうな要素をすべて詰め込んだようなゲームだが
そのすべてがかみ合っているとはいいがたく、
それはメディアミックスの展開にもあらわれている。
ただ、その後のアドベンチャーゲームの多くがテキストを読ませる方向に専門化していったなか、いろいろな要素を取り込もうとしたこのゲームの試みが自分は好きだ。

『スパルタンX』は記憶にある限りおそらく自分がはじめて遊んだビデオゲームだ
同名の映画をゲーム化したものだが繋がりはほとんどない。
友人の家にあったファミコンで、攻撃しない限り横長に積み重なる敵に恐怖をおぼえた
映画はいまだに観ていない。

格闘ゲームの二大企業は大阪府にある。
ふたつのメーカーのキャラクターが戦うドリームマッチ『CAPCOM VS SNK』
開発はカプコンが行い、キャラクターのグラフィックはカプコン調に仕上がっている。
ステージの背景はSNKの格闘ゲームを彷彿とさせるロケーションとタッチで描かれ、
雨の降る大阪のアーケードをはじめ、ステージの表現・演出がすばらしく、
格闘ゲームの二大巨頭がぶつかりあう舞台にふさわしい。

レゴブロックの世界でオープンワールド
『レゴシティ:アンダーカバー』はその要求に完璧に応えている
殺伐とした設定になりがちなゲームジャンルのなかで、
車をぶつけても“ごめ~ん!”のひと言ですませる明るさ。
石の破片、水しぶきにいたるまでブロックの形状。
なにひとつ心配なく遊んでいられる場所だ。

漫画・アニメ原作のゲームは昔から数多く、これからも出てくるだろうが
『るろうに剣心 十勇士陰謀編』は原作付きゲームの手本のような作品だ。
アニメ版をもとに描かれた明治の東京をめぐれば、そこにいるべきキャラクターがいる。
格闘ゲームをモチーフにした戦闘は相手の技を読み合う原作を再現している。
また原作では登場しなくなったキャラクターの再登場させるなど
プレイヤーが望めばできる部分が作りこまれている。

空中を自在に飛び回る超能力バトル
対戦格闘+シューティングゲームといえるシステムに
アニメ調のビジュアルが加わった『サイキックフォース』
そびえたつ高層ビル群に妖しげな月が浮かぶ
そのグラフィックのイメージに一発で魅了された。

『ライトニングリターンズ ファイナルファンタジーXIII』と物語の着地
本来終わるはずだった物語が、わけあって幕を閉じないことがある。
このゲームはシリーズ三作目の最終章で、ライトニングは本作と第一作の主人公だ。
一作目は大団円で完結している。
しかし二作目ではその大団円の直後に異空間へ飛ばされ、
彼女の運命と物語はいよいよ破綻をしはじめる。
主人公たちは設定上「神に翻弄されている」ことになっている。
この三作目では神の使徒「解放者」となり人々の魂を解放するという使命を与えられた。
人の心を理解できない神とそれに反逆する人間というテーマは一作目から変わらない。
だが一作目、二作目、本作に至るまでの間に神が設定を何度も弄るものだから、
プレイヤーも徐々について行けなくなってくるのも無理はない。
そのエンディングは唐突ではあるが、主人公のもとにすべてを収束させて着地した。

ファイヤープロレスリングX』の試合はレスラー選択の時点で始まっている。
自分がどのレスラーを使いたいか、というのはもちろん相手レスラーに合わせて
どんなマッチがみたいのかということをはじめて自分が意識したゲームだ
観戦するがごとく、誰かとプレイするもよし。
レフェリーのタメる動作が試合開始前の静かな熱気を盛り立てる。

『キングスフィールドⅡ』は世界の法則を教えてくれる
このゲームは開始地点から数歩後ずさりすると海面に落下して死んでしまう
これはプレイしたものの多くが味わうこのゲームの洗礼だ。
重重しい音楽とともに、そこに当たり前で残酷な世界がある。
開発したフロムソフトウェアはいまもこの系譜を引き継いでいる。

ゼンマイのエネルギーを溜めたぶんだけ進む『チョロQハイパーカスタマブルGB』は
交互にターンを進めてチョロQを走らせ、先にコースを周回したほうが勝利する
ときには自車をぶつけて相手の車を妨害するなどおはじきのようでもある。
少年誌のホビー漫画のごとく展開される物語も、それなりに歴史ある玩具である
チョロQからは堂々たる風格がある。
リアルタイムのレースゲームとは一味違う、紛れもないチョロQのゲームだ。

『ワイルドアームズフォースデトネイター』はストーリークリアまでが短いゲームだ。
こと本筋の道のりが長くなりがちなRPGのなかで、クリアまでの時間を短くし
それ以外の要素は後回しにすることで、時間がかかりすぎる問題を解決している。
そして同時に難しいゲームでもある。
RPGだが戦闘はパズルのようでもあり、ボスとの戦いは力押しではままならない。
短いからこそひとつひとつがギリギリの戦いになるように調整されている。

古いアクションゲームでは周回することでエンディングが変化するものがあったが、
『ダークセイバー』はプレイヤーの熟達の程度でシナリオを変化させる仕組みを構築した
このゲームはアクション・パズル要素の強いRPGで、
海上の船内で事件が起こるところからはじまる。
この船内のマップのクリア時間によってその後のシナリオ展開が別々に変化するのだ。
周回することを前提条件とせず、周回した結果プレイヤーのクリア時間が変化する
プレイヤー側の変化と蓄積がゲームに働きかけ、挑む気をおのずと起こさせる
物語を変えるのはプレイヤーの腕前だ

レースゲームとRPGを掛け合わせるというスクウェアの試み
『レーシングラグーン』はリリースから今でも近いジャンルのないゲームだ。
バトルをレースで行い、勝者が相手のパーツを奪う。
イベント以外ではゲームオーバーにならない分、バトルはつねにリスキーで
なかなか思い切ったバランス調整だ。
現実とは微妙に異なるややSFチックな横浜は、どことなく当時の
ファイナルファンタジーのようでもある。

カスタマイズ系ロボットアクションゲームの先達“アーマードコア”
そこから4年遅れて登場したのが『機甲兵団J-PHOENIX』だ。
ミリタリー要素の強かった同ジャンルの他のゲームに対し、
システム面などを換骨奪胎し、ヒロイックなロボットアニメ調の設定になっている。
このゲームについてプレイヤーが語るとき、アーマード・コアは避けては通れないが、
それはほぼ同一の部分があることを認めつつ、他の特徴や要素を示したいと思うからだ。

『侍』が舞台としたのは、武士がその役目をほぼ終えつつある明治時代。
侍だからと言って、必ずしも道徳的な行動をとる必要もない
アウトローな者どもも大勢いる。自らそちらに与することもできる。
選択の結果轢死することも、切り捨てられることもあるだろう
この時代の侍は精神的な支柱を失っている。
本来取りたかった選択をその場では抑え、次につなげるということもまた侍の生き方
このゲームは自分の辞書の『侍』という一字に新たな意味を付与した。

主人公とプレイヤーの関係について、よくさまざまな話を見る。
『レッドシーズプロファイル』はその関係の描き方がとても好きだ。
プレイヤーは主人公に同居し、やがてゲームから分離する。
明らかにツイン・ピークスの影響を受けた演出もまったく隠そうとしない。
それもツイン・ピークス的なものがひとつのジャンルといえるからか。
運転中の車内で映画の知識を喋り倒す主人公が微笑ましい。

『RPGツクール』は自分が創作者たりえるかの試験だ
“完成”と思えるものはいくつ作れたか。
自分はクリアまで3分かからないものをスーパーファミコンで一本作ったのみ
それが自分の思える唯一の完成品で、あとはすべて氷漬けの状態だ。

ポップコーンができるまでの時間を演出してくれる
『それいけ!アンパンマン ポップコーンこうじょう』はアミューズメントマシン
楽しみや、喜びのためだけに付属しているあのハンドルは
ポップコーンを買うという行動に他の価値を付与してくれる。

『忍道 戒』は天誅シリーズの流れを汲む忍者アクションだ。
時代劇的で硬派な天誅とはうってかわって、室町時代を舞台に移し
設定もややコミカルなものとなっている。
物理エンジンが実装され、天誅以上にファジーな行動をとれるようになった。
自分で任務をつくれるモードは特にその恩恵を受け、
数多くの馬鹿馬鹿しい任務がつくりあげられた。

SIMPLEシリーズはジャンクフード的なよさがある。
なかでも馬鹿馬鹿しくて気に入っているのが
『喧嘩上等!ヤンキー番長〜昭和99年の伝説〜』だ。
ストーリー、アクションともに往年のベルトスクロールアクションを彷彿とさせる
3Dアクションゲームで、キャラクターの能力を上昇させられるので難易度も高くない
その馬鹿馬鹿しい設定に見合うように小道具やフィールドも作られている
副題の“昭和99年”のインパクトは、平成から令和に移りさらに強くなった。

強制スクロール型のシューティングゲームは
短い時間で物語体験を強く与えるジャンルだと思っている。
『パンツァードラグーン』はその最たる例だ。
強大な力を持ったドラゴンの背に人間が乗り、荒れはてた世界を飛ぶ
前後左右を見渡して、過ぎ去っていく景色
このゲームの舞台設定や美術、音楽、ザラつきのあるグラフィックの与える印象は
その時代であればこそ生み出せたものだ。

『ガンヴァルキリー』は操作の難しいゲームだ。
空中を縦横に動き回れる装置を着た人間を操作する3Dアクションシューティングだが、
未知の乗り物を操縦しているような感覚で、相当に慣れが必要だ。
乗り継ぐ足場にたどり着くまでどのくらい推進エネルギーを使うのか?
そこにいくまでに敵を倒しきれるのか?
計画を練り、トライアンドエラーを繰り返す。
自分の操作や計画が、ミスだったか功を奏すか。ただ実直に現れる。

ファンタジー世界でも民族対立というのは死ぬほど出てくる。
『テイルズオブリバース』もその例に漏れないが、
主人公が苛烈な憎悪を抱いていたわけではなく
無意識下で差別をしていたこと自分にふと気づく、という例はあまりない。
主人公の存在が物語の中心から引いたところにあり
彼がその引力に引きづられ過ぎなかったことがとてもよかった。
必要のなくなった装備品が無駄にならない設計などシステム面でも完成度が高い。

ゲームボーイにカメラ機能を付与するカートリッジが『ポケットカメラ』だ。
カートリッジによる拡張機能はゲームボーイ以外の携帯ゲーム機で、
テレビチューナーなどが存在した。
このカートリッジが役に立つものかといえばそうは思わない。
これはカメラという技術を使った遊びを提供するものなのだから。

機器のスペックが上昇すると、ゲームも表現力を増してだんだん饒舌になっていった
『ワンダと巨像』はそのなかで黙することを表現とした。
黙々と巨像を葬っていく主人公・ワンダ。
このゲームをプレイしていると古いゲームを思い起こさせるが、
古いゲームにテキストが少ないのは技術的制約が大きいからだ。
このゲームが選択したのは単なるノスタルジーではなく、
ゲームをするという行為から浮かび上がる物語を
格段に向上した映像や技術で支えて描くことだ。

『龍が如く5夢、叶えし者』は主要キャラの5人のうち3人が隠棲している
彼らが各地の都市に住んでいるのはゲームの企画上のことに連なり、
物語からいつまでも引退できないからでもある。
後のシリーズが、職を変えることでやり直すことであったことを思うと、
この5はその前段階で、職を変えてもやり直せなかった者たちのダークサイドでもある。
敵との戦闘が、街を歩きたい自分の欲求に対して邪魔に感じることもあったが
そんななかで戦闘のない遥編があることは救いだった。

夜空の星に襲われる
『ドラッケン』は3Dフィールドで表現されたドラッケン島を舞台に
広い世界を歩き回るRPG。
フランスで誕生したこのゲームは日本にも移植され、その際にBGMが追加された
旅をしていると日が沈み、夜に切り替わっていく。
美しいBGMを聴きながら夜空を見ているとなんと星座がモンスターになり襲ってくる
さらに水辺に寄れば溺れ死ぬなど、日本製ゲームではまず味わえない鮮烈な体験だった。

『レッドアラーム』のゲーム体験を話すのは容易ではない。
立体視が楽しめる「バーチャルボーイ」というゲーム機があった。
それは赤と黒の映像しか描画のできないゲーム機だったが、『レッドアラーム』は
その制約の中でワイヤーフレームを使用し3D空間を構築したシューティングゲームだ。
制約の中で、と言ったがこのゲームの体験は制約あってのものでもある。
「バーチャルボーイ」のゲームソフトは概してハードとワンセットで語られる。
移植されるとしても赤黒の画面、立体視、ワイヤーフレームだけは絶対に外せない。

『スーパーメトロイド』は探索型横スクロールアクションの大家だ
このゲームはあらゆる面で前作から進歩を遂げ、特にSFホラー演出が強化された。
それを支える音響や環境音は紛れもなくスーパーファミコンのなかでトップクラスだ。
エネルギー低下で鳴り始めるアラーム音はゲームの体験とともに記憶に残り続ける。

小さな冒険は大きな旅へ
『ドラゴンクエストⅤ』が秀でているのは物語上の時間の流れを丁寧に描いたことだ。
それまでのシリーズでも現在につながる過去が描かれることはあったが、
ひとりの人間の誕生から子供時代、青年となって父親になるまでの流れを、
このⅤは体験するかたちで描いている。
子供時代と大人時代で町の大きさを変化させるといった演出もそうだが、
かつて少年期に冒険した道をふたたび通った時、それまでの長い道のりに思いを馳せる。

RPG『ブライ 八玉の勇士伝説』はゲーム側から終わりを宣告されることがある
一定の地点まで到達したときに体力が減っていると
それ以上進むことは不可能だとみなされゲームオーバーとなる。
それ以外にもこのゲームは体力表示を数値やゲージではなく“玉”のグラフィックで
表すなど、それまでのゲームの決まりごとの外へ行こうという気概が見受けられる。
このゲームは一時期の日本製RPGの毀誉褒貶のある部分を今に残す。

積極的な終焉
『ブレスオブファイアⅤ ドラゴンクォーター』はギブアップができる珍しいRPGだ。
このゲームではギブアップは決して無為なことではない。
自らその選択をすることで、ギブアップ時の能力や所持品をある程度引き継ぎ、
ゲームを最初からプレイすることができる。
普通に物語を進めようとすると、このゲームはかなり難しい部類のゲームだ。
だからこそどこまで行けるのか見極め、自分の手でそのプレイに決着をつける。
それが先に進むための積極的な諦めなのだ。
幾度かそれを繰り返すとシナリオ上にも変化が現れるという要素もあるが、
そういった要素が無かったとしても、その選択をしたプレイヤーと
終焉と再生を繰り返してきた主人公たちの関係に物語と情念が浮かぶ。

一人称視点のゲームは難しい、というイメージが自分には今も昔も存在する。
そのなかにあって『シャイニングザホーリィアーク』は
とても日本的でフレンドリーな一人称視点のRPG。
ドラゴンクエストを知っていれば理解ができるようなつくりだ。
数多くのRPGがドラゴンクエストとの差別化を図るべくシステム面に手を加えたが、
このシリーズは見た目は変えつつも、日本のRPGで馴染みのある要素は変えていない
シリーズ二作目となるこのゲームは、3Dポリゴンを使った演出や新しいシステムを追加しながらも、核となる要素はそのまま変えない。
こうしたタイプの一人称視点RPGの復活を希望する。

プレイヤーの全身を使ったゲームはそれまでも存在し、またそれなりに成功もしてきた。
「健康」「フィットネス」「筋トレ」そういった言葉も数多く聞いてきた。
『リングフィットアドベンチャー』はそういった特定のジャンルのなかだけでなく、
世に出たゲーム全体のなかでも素晴らしい出来の作品だ。
自分の身体をゲームに最適化するというより、ゲームが自分にあわせてくれる。
指示をされることはあるが、やらされているという感覚は薄く、
失敗したときのペナルティよりも成功したときの報酬と身体的な達成感が大きい。・
このゲームはついやってしまうゲームそのものの楽しさがあるが、
体力面から一度に遊ぶ時間は短時間になる。
だからこそ日々起動する長期間のプレイとなり、楽しんだ結果が身体の健康につながる。
短時間で大きな満足感を得られるものはシューティングゲームだと自分は考えていたが、
このゲームからもそれに並ぶ満足感を得られる。

『ジェットセットラジオ』のよさが何か考えてみて、
ひとつひとつの要素を解体して細かいところを見ていったら、何もとらえられなかった。
それはこのゲームが明確なコンセプトを据えて作られているからだと思い至った。
このゲームは東京のストリート文化がコンセプトになっている。
インラインスケートで街中を走り、グラフィティを残すという設計
アニメ調のグラフィック「マンガディメンション」、ポップでやや反逆的な音楽
これらが密接に、明確にコンセプトに合致して表現されている。
それはこのゲームがストリート文化そのものになることだ。

WiiUはコントローラーと画面が一体になった特異な形状をしていたが
『ZOMBI U』はそれを見事に使いこなした。
手元のゲームパッドで情報を確認するという現実の自分のアクションが
ゾンビに襲われる危険性にそのままつながるのだ。
のちに“U”の文字が外れたただの『ZOMBI』も出たが、
もとのゲームデザインを楽しみたければやはり“U”しかない。

現実世界を基にしたオープンワールドゲームでアジアが舞台のものは少ない。
そんななか『SLEEPING DOGS』は香港を舞台に設定した。
この手のタイトルはゲーム内の広さをアピールされることが多いが、
それよりも香港島の急峻な地形や、繁華街の作りこみなどに重きを置いている。
同ジャンルの持っている要素を取捨選択して取り入れて遊びやすく、
香港の文化や風俗がゲーム内に取り入れられている。
本筋の物語は悪くない一方で、ゲームでは問題視されることがままある、
プレイヤーの操作とカットシーンでの乖離が頻発している。
このゲームの屋台街を歩くのがとても好きだった。

ゲームが好きでゲームばかりやっていると、「ゲームって何だ?」と思うことがある。『1・2 Switch』は画面上だけで完結しないことで、そう思わせてくれた。
このゲームはひとりではプレイできない。遊ぶ相手が必要になる。
相手の目や反応を見ながら遊ぶミニゲームが数多く収録されている。
例えば、「ガンマン」。銃に見立てたコントローラーを下に向けて相手と向き合い、
Switch本体の合図とともに相手に向けて射撃する。
どちらが早く、正確に撃ったのかSwitchが判定し勝敗が決まる。
そうすると不思議とお互いに笑っていたりする。
プレイ中も、勝敗がついてからも、相手の表情をこんなにみるビデオゲームはまずない。
デジタルな機器を使ったアナログゲーム。
これはNintendo Switchを使った新しい遊びだ。

『TRUE CRIME』はオープンワールド系のゲームが流行し始めたなか、
比較的早い時期に登場したゲームだ。
主人公は警官、ストーリーがチャプター形式など独自性を出そうとした気配が感じられる
一見したところシリアスなゲームに見えるが、シナリオは個性的なものだ。
最後には某国の代表とそっくりなラスボスと殴り合いを演じることになる。

最新ゲーム機のマシンパワーを見せつけるために存在するゲームがある。
XBOX360は自分が初めて発売日に購入したゲーム機だった。
ソフトまで用意する余裕が無かったのでまる一年何も遊べなかった。
そして初めて買ったのが『ナインティナインナイツ』。
ファンタジー世界を舞台に大軍勢の戦いをするゲームなのだが
ゲーム機の処理が追い付かなくなるほど大迫力の魔法を使うことができた。
これは“処理落ち”と呼ばれる現象であまり歓迎されるものではないが
そのさまにはむしろ快感を憶えた。

プレイしてから時間のたったゲームは大抵、自分の中である程度評価が固まるものだが
『トラスティベル~ショパンの夢~』に対してだけは未だに決まった評価を持ちえない。
ポーランドの作曲家ショパンが今際にみた夢という設定のファンタジーRPGで、
ショパン自身が夢の中の旅人となり、その世界の住人と旅をする。
特異な設定だが、RPGの舞台としてのファンタジー世界は特別変わったものでもない。
ゲーム内でひとつの章が終わるとショパンのピアノ曲とともにその生涯が文章で現れる。
いやがうえにもプレイヤーは彼の生涯と夢の世界とを結び付けて考えてしまう。
つながりが見出せないこともないが、確信を得るほどでもなく断片的で曖昧だ。
クリアしてから数年たって、一度「夢の世界ならば何が起こってもおかしくない」
と結論付けたが、いまはも疑っている。
もしかしたら一生かけても理解できないものかも知れないが、
自分はこのゲームと向き合い続けたい。

魔女とガンアクション
箒型の銃を持った魔女が悪魔を撃つ『バレットウィッチ』
このゲーム最大の魅力は地形をも破壊する魔法の威力だ
ヒット&アウェイ、障害物へのカバーはガンアクションの基本だが
魔法を使えば障害物ごと敵を吹き飛ばせる
主人公の打たれ弱さを強力な能力でカバーする
TPSという言葉が日本で馴染む前夜、この魔女は突如現れた。

いじめっ子という意味の『Bully』は学園生活を題材にした箱庭アクションゲームだ。
学園内の寮生活が体験できる。
数々の問題を起こし、ブルワースアカデミーに転校してきた主人公・ジミー。
転校してきたばかりということもあり、彼は学園のどのグループにも属していない。
良くも悪くもどの相手にもフラットなジミーは特定の集団に属すことはなく、目の前にあることを片付けているうちに結果的に学園で頭角を現すことになる。
学園のある町はけっして広くはないがその密度はとても濃い。
登場人物はみなそれぞれに設定を持ち、コミュニティを形成している。
毎日授業があるため、町を自由に出歩くには教師から逃げ回るしかないのだが
生物の授業は気に入ってよく出ていた。

『ロストオデッセイ』は重厚長大なRPGに意外な要素を取り入れた。
それは小説だ。
主人公がゲームの中である光景を目の当たりにしたとき、短い小説が挿入される。
一見それはゲームのテンポを削いでしまう要素に見える。
“千年の時を生きる主人公”を描くこのゲームでこの小説は重要だ。
彼がどのようにここまで生きてきたのか、記憶を呼び起こされるという形で
ゲーム内のストーリーに直接関わらないエピソードがオムニバス形式で挟まれる。
たとえこの部分を抜きにしてもこの本筋には影響を与えることはない。
しかしこの部分があればこそプレイヤー側からの主人公への理解が深まるのだ。

『ファイナルファンタジーXV』は思い出を凝縮し続ける
ゲームが長大になってくると、ストーリーと遊びの広がりが足を引っ張り合う。
ストーリーを語る装置とゲームを遊ぶという行為が乖離していく。
多くのゲームではその解決のためにストーリークリア後に
やり残した遊びをできるようになっている。
最適な答えではないにせよ、いま取りうる最も普遍的な仕組みだ。
このゲームでも同様の仕組みをとっているが、物語の構成の仕方で
ただやり残しを片付けるだけのゲームとは全く違うものに感じられる。
受け継ぎ、大人になることを受け入れる。
その準備ができる前の思い出をプレイヤーは詰めこみ続ける。

乗り物には人が乗っていることを改めて感じたのが、
バイクアクションレース『ロードラッシュ』だ。
殴る蹴るといった妨害ができるこのゲームは、ライダーがバイクから振り落とされると
コースに戻る過程が省略されず、わざわざバイクに向かって走っていくのだ。
自分で操作をすれば、バイクに乗らずに歩くこともできる。
ゲームをクリアするうえではまったく意味はないが、こうした遊びこそ
このゲームの型破りさを象徴している。

『ファンタシースターオンライン』はゲーム内アバターと現実の人間との
同一視を意識させたはじめてのゲームだった。
オンラインプレイのできるゲームだが自分はオフラインで友人とプレイしていた。
小学生のときに仲の良かった友人と遊んでいたが、中学生になるとやや疎遠になった。
彼の作ったキャラクターデータだけが残り、このゲームを起動するとその姿が思い起こされる。
それまでキャラクターを見て現実の人間を思い出すことなどなかったが、
見た目をカスタマイズできるこのゲームではまさに分身として意識してしまった。

概してレースゲームは音楽との親和性が高いものだが
『デイトナUSA』ほど殊更に歌とレースがマッチしたものはない。
レース以上に歌が主役になりかねないほど、歌のインパクトが強い。
このゲームのファンを世界中から集めてゲームプレイと同時に全員で歌いたい。

ゲームを遊ぶという行為が、音を生み出すことにつながる。
『Rez』はそれまでも漠然とあったプレイすることで出る音をより意図的に取り入れた。
シューティングと音の関係を突き詰めて作られているゲームで、
それをワイヤーフレームのグラフィックで表現している。
このゲームにノれるのか、それは身を委ねて何も考えずに遊べるかにかかっている。

『セヴンスクロス』は架空の生物がDNAをいじりながら進化していくゲームだ。
初めはアメーバのような生物だが、捕食し、栄養を取り込み進化を繰り返していく。
DNAのいじり方は難解だが、捕食を繰り返していれば先に進むことはできる。
このような題材だがアクションRPGに近い感触の珍しいゲーム。
捕食した生物が少しずつこちらの能力や外見に影響を与えていく姿や、
造形のシンプルさが怪しさを感じさせる。
このゲームを遊んでわかった教訓は、カニがひたすら強いということだ。

ひたすらにストイックな『剣豪』はPS2黎明期に登場した。
日々鍛錬を積み、能力を上げ、御前試合での勝利をめざす。
メインは剣戟アクションゲームだが、
庵に座し、黙々と修行にいそしむその様相は
武士生活シミュレーションゲームともいえる。

新聞配達をゲームにすると聞いてどんなゲームを思い浮かぶだろうか
自転車のペダルを漕ぎながら家々に新聞を投げ込み、時には窓ガラスを破壊する
そんな大らかなでユニークなゲームを思いつくのは、発想力豊かな人だろう
『ペーパーボーイ』はアメリカの新聞配達少年をモチーフにしている
実質的に操作感はシューティングゲームといっていいが
その洗練されたグラフィックと愛嬌のあるスコア画面、細かく演出された設定など
ひとつのジャンルでは括りきれない独特さを放ちつづける。

『西風の狂詩曲』は巌窟王を物語のベースにしたRPG
韓国のソフトマックス社が製作したこのゲームは、
見かけは日本のゲームとさほど変わらないがその重重しくハードな設定は
原作の内容ももちろんあるが、その毛色に日本のゲームと異なるものを感じる。
韓国ではPCゲームの市場が大きいらしく、ゲームの文法や操作感などは
このゲームの日本語版の販売をしたファルコムの往年のPCゲームを思い起こさせる。
プレイしていて日本製RPGのパラレルワールドをみたような不思議な感覚をおぼえた。

ただ夜に車を流していたい。
『首都高バトル』のフリーランモードがその希望を叶える。
バトルの刺激に疲れ、何も考えず首都高を流しているとき
このゲームをやっていることの心地よさを感じる
走りつかれたら走って回復する。

自分がゲームで最も好きなタイトル画面は『ゼルダの伝説 時のオカリナ』だ。
遠くから響く馬の蹄音、沈む月と流れる地面のシーンから浮かぶタイトルロゴ。
そして夜が明ける。この短く静かなタイトル画面がゲームの印象を決定づけている。
このゲームを体験したことのない人は、この画面を見たとき何を思うのだろう。

REAL TIME ACTION ADVENTURE!
ゲームスタートとともにそう高らかに宣言される『チャレンジャー』
高速スクロールの列車から広大なフィールド、そして危険な洞窟へ
短い間で矢継ぎ早に多彩なシーンが繰り広げられる
ファミコン黎明期の幕の内弁当

『ソニックR』はかけっこゲームだが、キャラクターを走らせながら
ボーカル付きの曲を聴ける音楽プレイヤーでもある。
T.J.Davisの歌とTravelersTalesの技術力を後押しに
ソニックたちは次世代に移行する一足先に3D空間へ飛び出した

ワンダースワンのパズルゲーム『グンペイ』
このゲームのルールは画面上に配置されたパネルを動かし、線を横つなげて消していく
つながってさえいればどのような形でもよく、消える直前まで新たに線をつなげられる
パズルゲームのルールはシンプルで、15秒のコマーシャルで伝わるほど
だがプレイ時間はそれに比例しない。

電子ドラッグと称されることもある『TEMPEST 2000』
ジャンル分けするならばチューブシューターというもので、
『TEMPEST2000』の登場時、このジャンルはスタンダードではなくなっていた。
このゲームは『TEMPEST』シリーズに対する公式ファンメイドともいえる。
ゲームそのものの持つシンボリックな部分を残し、ノスタルジーに新たな要素を付与する
強烈な体験を生み出すこと以外に興味がない。
斬新さとは縁遠く、あったとしてもこのゲームは体験のためにそれを消費する。
ビジュアルや音楽の技術進歩を装飾ではなく、刃をより鋭くするために使っている。

好きだからこそ評価をまとめられないゲームがある。
自分にとってはそれが『グランディア』だ。
だからもうこれ以上は書けない。

いや、ゲームについてもっと書きたい。知りたい。やりたい。

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(2020/10/28)

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